茹だるような熱帯夜。
崩れたビルや建設途中で放棄されたビルの合間を縫うように走る、同じく放棄されたハイウェイがある。
天にあるのは双つの月。
半円をわずかに過ぎた月と、指輪のような幻月だ。
50年ほど前突如として出現した、いかなる観測によっても存在証明ができない、しかし見上げればそこにある月。
いつしか人々は、それを幻月と呼びはじめた。
それ以外、都会の濁った空気に遮られ、星はほとんど見えない。
替わりにあるのは地上の星。
無数にきらめく街の光だ。
そして、そんな地上の銀河の中にあるハイウェイを爆走する一つの影がある。
完全武装の六輪装甲車両。
バリケードをぶち破り、制止しようとした軍警を跳ね飛ばし、さらに通路を妨害するパトカーに砲弾を叩き込む。
「ちい、こちらの火力では止められんかっ」
軍警察のラゴウ警部は、その光景に歯噛みする。
街の治安を守ることが警察の本分。
しかし、現実ではあのような武装した企業スパイやテロリスト相手には無力なことが多い。
「警部、こちらに高速で侵入してくるバイクが」
「何……まさか、奴らの仲間か。なんとかして止めろっ!」
「駄目です。速すぎて……突破されましたっ」
部下の報告に、苛立たしげにひしゃげたパトカーの装甲を殴りつける。
「これでは、何のための軍警だ」
こうなったら意地でも止める。
ボンネットから単発式のグレネードピストルを取り出し、炸裂弾を装填。
そこで、通信が入る。
『ああ、よかった。やっと通じました』
この非常事態をまったく気にも掛けていないような、のんびりとした声。
年齢では一回り近くラゴウより下ながら、階級では彼より上。
軍警の東雲警視だ。
「東雲警視、自分は今職務中でして、話は手短に・・・」
『あ、それなし』
「・・・はぁ?」
我ながら間抜けな声だ、と思う。
『うん。今そっちに近づいてるバイク、それ味方だから』
何を言っているのだこの馬鹿は。
『ようするに、さ。あの暴走車の処理はそのバイクに任せて、君達は後始末したら帰っていいよ』
「ふざけるな! どこの馬の骨とも分からない奴に、警察の仕事を任せられるか!!」
ラゴウの怒声に、無線の向こうで東雲は耳を抑えながら、
『だが、あんたらじゃあいつに太刀打ちできないだろう?』
悔しいが、正論だ。
その時……
「警部、バイクが通過します!」
爆音と共にハイウェイを駆け抜けるのは、重装甲にして大型の単車だ。
姿勢制御用ジャイロと多目的ハードポイント、さらにサイボーグ向けに神経接続システムを搭載した戦闘用バイク、カウンテス。乗っているのは――、
「――女!?」
ラゴウの驚愕の声に、東雲が応える。
「ああ、安心しな。とびっきりの腕利きさ。彼女達は」
立ち塞がるものを次々と破壊しながら走る地上の暴風。
そして、それを追う一台の単車の姿がある。
突撃用の衝角と、兵装固定用のハードポイントを備えた蒼いバイクだ。
ヘルメットをかぶり、アーマーコートを羽織っているものの、それでもなお分かるラインから、乗っているのは女性だということが分かる。
その彼女の首筋には太い端子が刺さっており、そこから伸びたコードによって単車と接続されている。
サイボーグ手術によって得た神経接続だ。
機体と意志を直結させることにより、操縦者の意志をダイレクトに機体に伝えることができる。
腰のホルスターには黒光りする大型拳銃。背には、長い根棒のようなものを背負っている。
操縦者の名はリリィ。
カラミティジェーンと呼ばれる二人組の厄介事代行人の片割れである、全身を義体に換装した戦闘のスペシャリスト――ストリート・サムライだ。
依頼は至って単純だった。
元々の依頼は、クラングループ傘下の魔導技術研究施設で開発された新機材の、他企業のスパイからの防衛。
しかし間の悪いことに、依頼を受けて彼女達が研究所に行くより早く、産業スパイが侵入し、防衛対象を奪取。
そこで警備に見つかり、逃走ついでにそこにあった試作型魔導アーマーを盗み、周囲や妨害を蹴散らしながら逃走。
すれ違いに到着した彼女達に追跡依頼がなされたのだ。
「手段が派手すぎる・・・スパイとしては三流ね。それとも、私達のご同業かしら?」
目的は新機材の奪還、無理ならば破壊。
「見えた――」
アクセルを踏み、さらに加速。
見る見る内に六輪の装甲車両の外観をした魔導アーマーが近づいてくる。
流線型のそのシルエットは、むしろ車というよりバイクに近い。
車体の中心軸、それぞれ前部と後部に巨大な車輪があり、その周囲、計四基の小型の車輪がある。
目に見える武装は車体上部にマウントされた可動式の二連装砲塔と、車体の左右、正面に向けて固定されたプラズマキャノン。
それに、正体不明の球体が後部に四機。
「おぉーっとっ!?」
向こうもこちらに気づいたのだろう。
砲塔が回転し、こちらに狙いを定める。
来る。そう感じたのと同時、砲撃。
その瞬間、彼女の補助脳内にインストールされている戦闘プログラムが弾道予測。
その結果を参照し、体内のスキルワイヤに干渉して回避行動を取らせる。
直後、直前まで彼女のいた空間を砲弾が貫き、背後で着弾。
それだけでは終わらない。
続けざまに砲塔が唸りを上げる。
「しつこいっ!」
当然ながらあんなものが直撃すれば、いくら装甲があっても跡形もなくなるだろう。
だが、バイクは驚異的なテクニックで左右に躱し、時に傾け、砲弾を回避し続ける。
「さすが、ユーキの最新型・・・いい仕事してる」
彼女のテクニックではない。
神経接続端子のやや上、耳の後ろあたりにあるチップスロットに挿入された、ユーキエレクトロニクス製の運転チップの力だ。
コンピュータに新たなソフトウェアをインストールするように、体に埋め込まれたチップスロットにスキルチップを挿入することにより、射撃から裁縫まで、あらゆる技能、あるいは情報や記憶、性格すら得ることができる。
そして、そのスキルは全身に張り巡らされた強化神経、スキルワイヤを通じて体に指令を出す。
単車操縦に特化されたスキルチップの力で次々と砲弾を躱していたリリィだが、その内相手がぴたりと砲撃をやめた。
「――――?」
チャンス、とばかりに接近しようとしたが、彼女の中の何かが警告を発した。
直後、装甲車両背面にあった四つの球体のような物が開き、そこから銃身が迫り出して来る。
近接戦闘用のマシンガン。
「ちぃっ!」
車体を倒し、横滑りさせるようにしながらホルスターの大型拳銃、ソリッドファイアを抜き放つ。
グリップの接続素子と、手のひらの感覚素子を通じてダイレクトリンク。
スマートリンク射撃システムによってリリィと銃が一体化する。
視界に被さるように、レティクルと予測弾道がサイバーアイに表示される。
そして、インストール済みの射撃ソフトに応じて、全身に仕込まれたスキルワイヤが射撃姿勢を整える。
並の人間の数倍以上の反射速度で、速射。
銃座の一つが45口径徹甲弾に撃ち抜かれ、沈黙する。
だが、残る3つの銃座が射撃を開始。
ほとんどは躱したものの、数発がリリィの体に突き刺さる。
――痛覚遮断。筋肉収縮。負傷判断、微傷レベル。戦闘継続に問題なし。
しかし、アーマーコートと、皮膚下に埋め込まれたダーマルプレートのおかげで、致命傷には至らない。
さらに着弾の衝撃で車体が揺れるが、カウンテスの車体に内蔵されたジャイロと、リリィの体に埋め込まれた強化型三半規管は、この程度ではバランスを崩さない。
カウンターでさらに射撃。
二基目の銃座を使用不能に追い込み、生まれた死角に滑り込みながら撃ち尽くした弾倉を排出。
新たな弾倉を叩き込み、残る二基も同様に破壊する。
ここまで接近すればもうキャノンは使えない。
後は、なんとかして足を止めるだけだ。
とりあえず、装甲の継ぎ目らしいところを目がけてソリッドファイアを放つ。が、あっさりと弾かれた。
「あちゃー、さすがにこの距離じゃ効き目なし、か。……仕方ない、もうちょっと距離を詰め――どぅえぇぇっ!?」
このままでは埒が明かないと判断したのだろう。
減速し、直接車体をぶつけてリリィを押し潰そうとした。
慌ててソリッドファイアを乱射するが、すべて装甲に弾かれる。
「にょわわわわ」
最後の手段。急ブレーキを掛けて、一度距離を離す。
そして装甲車はそのまま走り去ろうとする。
それを見たリリィは舌打ちひとつ、
「あったまきたぁーっ」
背負っていた根棒のようなものをハードポイントにセット。
アクセル全開で後を追う。
背負っていたのは、アグニインダストリィ「アルバレスト」ロケットランチャー。
旧時代のパンツァーファウストやRPG−7の流れを汲む、安価ではあるが絶大な威力を誇る兵器だ。
もっとも安いというのはミサイルなどと比べてであって、やはりそれなりに値は張るが。
「ブースト、オンッ!」
ニトロに点火。
莫大な加速力を得て、見る見るうちに距離が詰まる。
だが、この加速力はエンジンへの過負荷と引き換えだ。
そう長くは続かない。
だが、それで充分。
アルバレストとはスマートリンクが繋がっていないため、直接照準をつける必要があるが、それでもこれだけ近づけば、充分必中距離内だ。
「た〜まやぁ〜っ!」
そんな声と共に引き金が引かれる。
発射された弾頭は、ある程度進んだところで二段目の推進剤に点火。
まっすぐに標的目がけ飛翔する。
直撃。そして爆発。
装甲車は衝撃でコントロールを失い、半分ほど中央分離帯を乗り越える形で停止する。
停止した装甲車はもはやピクリとも動かない。
操縦者は死んだのだろうか?
リリィはわずか前でカウンテスを止め、ソリッドファイアを構えながらゆっくりと近づいて行く。
と、不意に装甲車が振動した。
リリィが反応するより早く、装甲車は内部から爆散。
飛び散った破片のうち、ナイフほどの大きさの装甲片がリリィの腹に突き刺さる。
――負傷判断、軽傷レベル。反動補正容量オーバー。姿勢制御喪失。
堪え切れずに転倒。
そして、爆散した装甲の内部から、飛び立つ影がある。
「嘘……飛行型の魔導アーマー! さっきまでのが外装で、こっちが本体!?」
まずい、迂闊だった。
空を飛ばれては、自分では追えない。
ついでに言えば、さっきの爆発のダメージも痛い。
飛翔機となった魔導アーマーは、もはやリリィにかまわず空に消えて行く。
「あーっ、もうっ!!」
地団駄を踏むが、だからといってどうにかなるものでもない。
その時、リリィの懐で携帯が鳴った。
「げ――」
恐る恐る手に取る。
「あー、もしもし」
『ボクだけど、逃げられたね?』
「う……だってだって、空飛ぶなんて聞いてなかったじゃない!」
『リリィ、言葉は正確に使うものだよ? 君が、聞かずに飛び出して行った、の間違いだ』
「う……」
携帯の向こうでため息をつく気配がある。
『それに、気軽にいろいろ使ったみたいだけど、ウチの懐事情、理解しているかい?』
ニトロで傷んだカウンテスの修理、アルバレストの弾頭。
どれも決して安いものではない。
リリィは額に汗をにじませつつ、
「ひ、必要経費よっ!」
わずかな沈黙と、再びため息。
『まあ、過ぎたことはしょうがないか。相手がどっちに逃げたか分かるかい?』
「ん。こっから北東。旧市街地の方。ただ、そこから先、どこに行ったのかはわからないわ」
『いや、それだけ分かれば充分だ。今から追いかける』
「ちょ、追いかけるって――」
そこでリリィは気づいた。
携帯の向こうから聞こえる風の音と、その意味に。