あたしは、昔彼と出会っていた。それは名雪も知らない事。あたしだけの思い出。
 彼は忘れていたみたいだった。でもあたしは強烈な印象を伴い彼を覚えていた。そして七年ぶりに彼を見たとき変わっていないなと思った。その時、胸の奥がちりちりと少しだけ残り火を燃やした。それは小さい頃彼に感じた、だれにでもある淡い恋心。
 あの七年前のこの雪の降る町で確かに彼に出会っていた。
 そう、しっかりと覚えている。あの雪の日の事を。





“あの日の思い出”





 あの日、あたしは母さんから頼まれた物を買いに商店街にいた。
 まだ小学生だったあたしはおつかいという普段とは違うことを出来る事に気持ちが先に駆け出していた。
 普段なら、ただ学校に行くだけの道が輝いて見えたことも、何気ない道端に積もっている雪にさえ違うものを見ていた。
 そのせいで、あたしは母親から渡されたお金の入った財布を何処かに落としてしまったのだ。心細く、それでも昔から自尊心が強かったあたしは人に財布を落とした事を知られたくなかった。
 その為一人でずっと探していた、今にも泣き出しそうな顔をしながら。
 「どうしたんだ、お前」
 そして、彼と出逢った。
 彼は商店街に設置されたベンチで、女の子と一緒にたい焼きを食べていた。そこからあたしのほうを見て、声を掛けてきたのだった。
 その女の子は、セミロングの髪に白いリボンで飾りを付けた、笑顔が綺麗な少女だった事を覚えている。
 「何でもないわよ」
 意固地に他人には弱みを見せたくない一心でそう言った、その声は既に震えていたけれど。
 「そんなことはないだろ? お前、目が真っ赤だ。ちょっとこれでも食べて落ち着こうぜ」
 そう言って彼は袋からたい焼きを取り出しあたしのほうに差し出してきた。今思ってもどうしてそうしたのかわからない。そのときは彼に誘われるまま、ベンチのほうへと歩を進めたのだ。
 「ごめんあゆ。ちょっと横に寄ってくれ」
 「うん、祐一君」
 二人が空けた空間にあたしはすっぽりと納まり、ホカホカと湯気を上げるたい焼きを手に取っていた。
 傍から見ると変な感じだっただろう。子供三人さらに一人は眼を真っ赤にしてたい焼きを食い入るように見ていたのだから。
 黙々とたい焼きを食べていたとき彼が言った言葉をあたしは未だ覚えている。これがあたしが彼を覚えていることでもあった。
 「泣きたいときは泣けばいいし、笑いたいときは笑えばいいよ。そしてさ、人に頼りたいときは頼ればいいんだ。誰もお前が何かを落とした事を笑わないさ」
 何食わぬ顔をして彼はこうあたしに言ったのだった。
 それを聞いたあたしはとてもおどろいた顔になっていたと思う。探し物を探していたことがばれていた事もあったがそれ以上にその内容にだった。
 あたしはいつも感情を抑えていた。学校でも家でも。いつも笑いたいときは笑えず、泣きたいときも泣かなかった。それは今までずっと何事も人より上で無いといけないという考えからだった。
 泣いたら人に馬鹿にされる。人とは違うことで笑わないといけない。今考えるととてもばかばかしい事を考えていたものだと、そう思う。その考えを同世代の彼は普通の物言いで壊したのだった。
 「そんなこと、わかっているわよ」
 そして軽い反発の心をあたしは彼にぶつけたのだった。
 あたしにはそうは考えられなかったのに、こんなに簡単に言えることが幼心にも羨ましかったから。
 「本当にわかっているかは、もういいとして――かくれんぼしよう」
 「何ですって?」
 「だからさ、かくれんぼだよ、かくれんぼ。知らないわけが無いだろう?」
 「知っているけど、それがどうしたの。あたし、今そんなに暇じゃないのよ」
 そこで彼がくす、と少しだけ苦笑いのような笑顔を作った。
 「まぁ、いいじゃないか。さああゆあゆもかくれんぼしようぜ。俺が鬼をやるからあゆと、ええと……」
 そういえば、と彼は言葉をつなげた。
 屈託の無い今思っても、綺麗な笑顔で。
 「君の名前は? 僕は祐一だ」
 「あたしは、香里。美坂香里」
 「よし、あゆあゆと香里は隠れる役だ。僕が三十数える間に隠れるんだ」
 「あゆあゆじゃないもん……」
 そういいながらも表情は笑顔で少女は商店街に駆け出していった。
 「さあ、香里も」
 「わかったわよ」
 そういって、あたしも彼女の後を追って商店街を駆け抜けていった。




 あの後すぐ、かくれんぼの途中であたしは草むらの横に落ちていた財布を見つけたのだった。
 財布を見つけた後、あたしは彼らに別れを告げ家に戻った。本当はもうちょっと遊びたかったけどお母さんが待っていたから。
 次の日も、その次の日も同じ時間にあの商店街のベンチに行ってみたけれど彼等は来なかった。
 お母さんが「町のはずれにある大きな木が切られる」と言う事もあたしには関係がないことだと思った。いまは彼らにもう一度会って遊びたいと、そう思っていたから。
 もう、逢う事は無かったけれど。 
 その後の日常であたしはできるだけ自分の感情を前に出すことにした。おおっぴろげでは無いけれど前より自分を出せる気がしたから。
 彼はあたしにとって感謝する対象でもあり、昔はそんな彼に淡い恋心のようなものを抱いたのだった。今はもう恋心は無いけれど感謝の心は未だ持ち続けている。いつかこの事を話すときには初恋のことも一緒に言ってみようとあたしは、この思い出を思い出しひそかに笑った。