人は夢を見る。
それは多くの人に言えること。そしてその夢の内容も人それぞれ。
ある人は、幸せな夢。ある人は昔の夢。そしてある人は悲しい夢。
人の夢はその人の体験した事を下に作られると言う。自分の体験した事を夢は映し出す。
たとえそれが幸せだろうと、悲しい事だろうと、脳に刻まれた強い思い出ははっきりと現実のように映し出すことが出来る。
それによって人は、目覚めが良いものか悪いものかの二つになる。
もちろん幸せな夢を見て、目覚めが良いほうが一般的には良いだろう。
だが、人によっては辛く悲しい思い出だけにしか、望むものが出てこない場合がある。
悲しいけど懐かしい、辛いけれど見たい。そのような夢もまたあるのではないだろうか。
さらに夢とは不思議なものである、おきて間もない頃には比較的はっきりと見ていたものがわかるものなのに、少し時間が経つと夢の内容を忘れてしまう。
夢に生きるのではなく、現実を生きろと、夢が言っている様でもある。
さて、語り始めよう。
夢ではなく、過去でもなく、現在を生きる彼のことを。
“空の中に歌う譚詩曲 #3”
起きると、ずきんと頭痛がした。
何も言わずむくりと彼、川上冬斗は自分のベットから身を起こし、おもむろにカーテンを開ける。
しゃっ、とカーテンがすべる音と共に春の柔らかな日差しが顔を照らす。
「……っ」
まぶたが光をうっとおしそうに避けようと、腕を日差し代わりに持ってゆく。
日よけを得たまぶたがしっかりと開かれる。
そして適度な光量をえた茶色の瞳がゆっくりと外の光景を映し出し、外の状況を教える。
雲ひとつ無い見事な晴れ。
それだというのに彼の顔は晴れてはいない。何か苦しい表情をして何かを必死に堪えているような、そんな表情だった。
「ぐぅっ……ううっ、うあぁ……」
おきてからずっと真一文字に結ばれていた唇から漏れた声は嗚咽。
聞くものに聞いたことに激しい悔恨の念を抱かせる、そんな黒く残酷な声を彼は少しだけ吐き出した。
しっかりと開かれたまぶたから見える綺麗な茶色の瞳は、今この晴れ渡った空を映してはいないだろう。
黒く、濁った色を想像させるような、虚ろな瞳が目の中で儚く揺れている。
そのような状態が、五分ほど続いた。彼の中では五分しか掛かっていないという感覚は無いだろう。
そして唐突に膝が崩れ落ちる。
支えをなくした身体は彼の身体についた糸を引っ張るように重力に引かれ、床に張り付いた。
そして、倒れたときと同様また唐突に立ち上がった。
「む……どうして俺はこんなところで寝ているんだ」
頭を一かき、むくりと起き上がった彼の顔には先ほどのような表情は消えていた。
「カーテンが、開いている?」
窓際に倒れていた事もあって、彼は外を見る。
さっきと変わらない、青空。ずっと見ていると引き込まれそうな蒼をした空が遠く大きく広がっていた。
「うん、しっかりと晴れているな」
空をちらとみて、彼はベットのほうへと戻る。先ほどとは違う表情、同じものを見たというのに違う反応をとる。
「まぁ、寝ぼけてカーテンを開けてそのまま寝たんだろうな俺」
そう結論付け、おもむろに服を脱ぎ始める。
クローゼットから制服を取り出し、上のブレザーは着ずにインナーにカッターシャツと学校指定のズボンを着て、彼は何時も通り朝食を作りに部屋を出た。
☆
「さて、ご飯も出来た事だし、そろそろいい時間だろ」
あれから十分ほど、彼はキッチンで全員分の朝食を作っていた。
現在この家に大人と呼べるものはいない。冬斗の両親は彼が幼い頃に事故でなくなっている。
神河楓、茜は蒼村家に居候の身分であり、親である神河静祈の元から離れている。
それでは蒼村家の両親はと言うと、二人そろって海外で生活中である。葵と拓馬の父親である拓人の海外出張が決まった際母親である沙織もついていったからである。それゆえ今は冬斗が家事を受け持っている。
拓馬も家事が出来ないわけではないが、家事は殆ど冬斗の趣味であるため他の人間は冬斗の手伝いをするくらいである。
「ふぅ、おはよう兄さん」
きっちりとディープブルー色のブレザーまで着込んで拓馬がリビングに顔を出した。
「ああ、おはよう今日は普段より少し早いな」
「今日は朝から式があるからね、しゃんとしていかないと怒られるし」
拓馬の分のコーヒーを注ぎ手渡す「ありがとう」と拓馬は言いコーヒーに口をつける。
まぁもちろん単に目が覚めた事もあるけれどね、と笑いながら拓馬は付け加えた。
「俺的には、後者のほうが大きいと思うけどな……っ」
ずきんと、冬斗の頭を衝撃が襲った。
「どうしたの、兄さん。頭痛?」
コーヒーの入ったカップを持ったまま拓馬は顔だけをリビングに向けて話しかけてきた。
「ああ、まぁ軽い頭痛だ。それよりもうそろそろあの三人は降りてこないと間に合わないだろう」
「兄さん、入学式は昼からだよ。楓と茜はまだ寝ていても大丈夫な時間だし。でも姉さんはそろそろ降りてこないとまずいよね」
ああ、そういえばそうだったな、と冬斗は呟いた。
「でも、もう起きてきてるよ」
声がしたほうに冬斗が振り返ってみると
「おはよー。冬、拓馬」
「おはよう、冬斗くん、拓馬くん」
冬斗達が通う「雪華高校」の制服を着た二人が廊下に通じるドアから顔を出していた。
「まだ時間はあるんだが、随分早いお目覚めだな」
「二人とも早いね、おはよう」
二人とも彼女達がまだ起きてくるとは思っていなかったようで、多少驚いたようだ。
「まぁね、少し早く目が覚めたんだ」
「それに今日は入学式でだから、寝ぼけていくわけにはいかないしね」
「二人とも早いね、私少し驚いたよ」
二人に後ろから声をかけたのは葵だった。
彼女はスカートにカッターシャツというラフな格好で朝食を食べにリビングに降りてきた。
「うん、まぁね。寝ぼけて学校に行きたくないし」
「それに、冬斗君の料理も食べてみたかったから……」
と、二人の返事。
「兄さん、モテモテだね」
「うるさい、拓馬。それより早く食べよう、俺達はもう少ししたら出ないと間に合わないぞ」
「それもそうだね、じゃあ食べようよ姉さん」
「うん、じゃあかえちゃん、茜ちゃんたべよっか」
それぞれ皆、自分の席に着く。
「うむ、では頂きます」
皆それぞれ朝食に手を付ける。
ちなみに今日の朝食はトーストとカリカリベーコン、目玉焼きといった洋風の朝食だった。
「兄さん、今日は洋風なんだね」
「まぁな、毎日毎日朝から和食は飽きるだろ」
「ちょっとかえちゃん、そこのしょうゆ差しを取ってくれるかな」
「はい、どうぞあおちゃん」
「冬、これ結構おいしいね」
終始話し声が絶えない、にぎやかな朝食になった。
☆
蒼村家から雪華高校までは歩いて三十分の距離にある。
自転車を使わなくてもいける距離のため三人は歩いて学校まで登校する。
その途中、通学路には、ディープブルーのブレザーを着た生徒がたくさん歩いている。
中には、カップルで歩くもの。五、六人で連れ立って登校しているもの。MDを聞きながら自転車をこいで登校するもの。色々といる。
その中で三人はなんと言うことなしに楓、茜二人の話をしながら歩いていた。
「まぁ、あの二人が一緒のクラスにはならないだろ」
「うーん、でも一緒のクラスになったら面白くない?」
「拓馬、面白くないよあまり……」
「そう? 姉さん。きっと面白いと思うよ、ふたり双子だし」
二人の会話を聞きながら冬斗がぼーっと歩いていると
「おい、冬斗! 何朝から辛気臭い顔してんだよ!」
「て、いきなりそんな挨拶から入るか浩樹。と、蒼村さん拓馬くん、おはよう」
「あ、横野君おはよう」
「おはようございます、横野さん」
三人に朝から(主に冬斗に)激突してきたのは西倉浩樹、横野慎一のコンビだった。
二人とも冬斗の友達で浩樹は高校から、慎一は中学からの友達だった。
浩樹曰く、
「俺も冬斗と中学生から友達になりたかった」
とのこと、その二人が通学中の三人を見つけ朝から友人としての付き合いをかましたというわけだ。
「で、今日はクラス替えだな」
「おお、そういえばそうだな」
浩樹ががっちりと冬斗の手を握る
「今回も同じクラスだといいな」
「そういえば、一年のときは僕と冬斗と蒼村さんが同じクラスで浩樹だけが違うクラスだったね」
「ああ、あれはすげー悲しかったぜ、マジで。一回味わって見れ、俺の気持ちがよっくわかるから」
「遠慮しておくよ」
「俺も、やめておく」
「私も辞退させてもらっていいかな」
「まず、僕は違う学年ですから……」
全否定。
「まぁ、そんなことを踏まえたうえでだ、さっさと学校に行って確認しようぜクラス」
「確かクラス内に張り出してあるんだよな……面倒くさいな、外の掲示板みたいに張り出してしまえばいいのに」
冬斗がぼやく。
「それじゃあまるで、高校受験のときみたいじゃないか」
「おお、それもそうだな」
「と、じゃあ僕はここで。後でね兄さん、姉さん」
五人は学校に着いた。
「ああ、後でな拓馬」
「うん、じゃあ後でね」
彼らの日常はここから始まった。