「ねぇ、冬くん。もし君が死んでしまったらどうする?」

 ぴっぴっと、規則正しく刻まれる電子音が部屋に鳴り響く。夜の帳が降り始める時間帯にその部屋には少年と少女がいた。少年は全身を黒い服で彩っている、つまり学生服だ。そして少女は入院着というものを身にまとっている。
 人の生死が常に天秤にかかっている、病院という場所だが、その場に似合わない明るい表情の二人。だが片方はその複雑な心中からか、ぎこちない表情にも見受けられる。そこに少年は気がつけないでいる。

 「急にそんなネガティブなことを言われてもなあ……反応しにくい。少なくともよくわからないとしか答えられないよ」
 「そうだよね。でも私はできればこの世に残りたい。たとえ―――が治らなくても」
 「……よく聞き取れなかったが、確かちょっとした入院なんだろ?」

 お見舞いの定番、フルーツの盛り合わせに入っていたりんごを剥いていた少年は、少し表情を曇らせる。
 少女のほうは、少し困ったような表情を顔に浮かべる。その表情にふさわしい苦笑をしながら少年の問いに答える。

 「もちろん。少ししたらまた冬くんと一緒に過ごせるから、少しだけ待ってて。お医者さんももう少しって言っているんだから」
 「ああ、もちろん。紗綾がいないと寂しいからな。早くとは言わないからゆっくり治してくれ」
 「それは当たり前だよっ。もう、お前がいないと生きていけない。くらい言ってほしかったな」
 「――ったく、そんなこっぱずかしい事言えるかよ。恥ずかしい」
 「……そんなことないもん。冬くんが言ったらきっと様になってて格好いいよ」

 手元でうまくナイフを操りりんごを剥き終えた少年は、ふぅ、ため息をつきながら立ち上がった。その際に足元に置いていたかばんを手に取る。

 「じゃあ、また来るから。お大事に」
 「うん、またきてね。楽しみにしているよ」

 少女がそういった刹那。少年はその唇を自分の唇で塞ぐ。少女は一瞬、驚いた表情を浮かべたがすぐ眼を閉じ、少年の動きにあわせるとくちゅくちゅと粘膜同士がこすれあう淫靡な音が静かな部屋に響く――互い相手のすべてをむさぼりあう様な長いキスが続く。

 「ん……これは気の利いたことが言えなかったお詫びだ、それじゃあな」

 口を塞いだ張本人が、ゆっくりと拘束をはずす。その際に離れたところ同士から銀色の糸が出来上がる。その糸は二人の距離が離れると切れた。
 キスを求めた少年は、「ちょっと格好つけすぎかな」と思いつつ、少女に背を向けてドアを開ける
   少年が部屋から出て行った後、少女はどこかうつろな表情をしながらも嬉しそうだった。






 “空の中に歌う譚詩曲 #5”





 「……珍しいなあ、兄さんがまだ降りてきてないよ。姉さん」
 「だね、いつもならこの時間帯にはもう料理を作り終えているのに」

 朝日がリビングに彩を与える朝。拓馬、葵の二名はそれぞれ制服に着替えて何時もの通りリビングにいた。だが、いつもその光景の中にいるはずの人物が今日はいなかった。普段から二人がおきてくるときには料理を作っている冬斗の姿が見えない。

 ――おかしいな、居ないなんて。

 お互いに、そう思っていた。いつも皆が起きる時間に合わせて朝ごはんを作り眠い眼を擦ってリビングに下りてくる自分達をやけに似合うエプロン姿で迎えてくれる青年がいないのだから。

 「じゃあ、僕変わりに料理作っておくから姉さん、ちょっと兄さん見てきてくれないかな?」
 「うん、それはいいけど今から料理作って学校間に合うかな?」

 葵の視線は拓馬から壁にかけられた時計に移った。現在の時間をみて葵は少し表情を曇らせる。

 「ああ、大丈夫だよ。兄さんちゃんと準備してたみたいだし。残念ながら今日のお昼は学食みたいだけどね。そうだ、あの二人もついでに起こしてきて、姉さん」

 そういって拓馬は料理に取り掛かる。葵は椅子に自分の制服の上着を掛け、廊下へと通じるドアを開ける。短時間ながら暖房を入れていたリビングとは違い、冷え込む夜を越えた廊下の寒さがリビングに吹き込んでくる。
 葵は、「ふぅ」とため息をつきドアを閉めて二階に上がっていった。








   ☆    ☆







 冬斗の部屋に着く前に双子二名は各自、自分の部屋をでて階段ですれ違った。まだ制服に着られているような初々しさをみて葵はくすっと微笑をもらし、双子は「なぜ笑っているのだろう?」と不思議そうな顔で階段を下りていき、ちょうど葵が2階の踊り場についたあたりでリビングの扉があいて閉まる音がした。

 ――珍しいな、冬斗が寝過ごすなんて

 内心、何かあったのだろうかと心配しながら冬斗の部屋のドアをノックする。

 こんこん……
 部屋のドアをノックしても返事は無い。
 こんこんこん……
 ノックの回数を増やしてもまったく部屋の中で動きが感じられない。

 「冬斗〜? おきないと遅刻するよ〜。おきてる〜?」

 こんこん……ノックをしながら部屋の中へと問いかける葵。それでも部屋の主は返事を返さない。

 「……入るよ?」

 そう一言断って、葵は部屋のドアを開ける。
 部屋ごとに鍵がついてはいないので、すんなりとドアは開く。部屋の中は冬斗が寝る前に閉め忘れたのかカーテンはしまっておらず朝日が降り注いでいた。
 そんななか、少女は青年が寝ているであろうベットに目標を定める。

 ――普段とは違う目覚めを演出してあげよう。何がいいかな? 布団を一気にはぐとか……いっそ布団にもぐりこむとか……

 そんなことを考えながら足音を立てずにゆっくりと近づいていく。

 「……ん」
 「あ、冬斗おきちゃった……」

 少女が計画を実行する前に青年はゆっくりと起き上がる。

 「……葵?」
 「そうだよ、他の誰に見えるのかな?」
 「――葵以外には見えないな」

 冬斗はのそりとベットの端に腰掛ける。その表情は冴えない。

 「大丈夫? 顔色悪いみたいだけど、風邪か何か引いたのかな?」

 葵は左手をぼんやりとした表情の青年の額に当て、右手を自分の額にあてる。数秒、その体位維持し「ん〜」とうなりながら額から手を離す。

 「熱は無いみたいだね〜。冬斗って低血圧だっけ?」
 「いや……今日はちょっと夢見がな」

 いまだ寝巻き姿の青年は頭を振りながらゆっくりと答える。一つ一つの動作が億劫そうなそんな動きを見せる。

 「で、葵がこんな時間に起きてるなんて珍しいな。今日は槍でも振るか?」

 半分微笑でそうつぶやいた冬斗の言葉は

 「何言ってるの冬斗……今何時か確かめてみなよ〜」

 と打ち返されて、その言葉通りにのそりと窓の出っ張りにできたスペースにおいてある時計を手に取る。

 「…………まずい」

 きっかり5秒ほど時計を眺め、その間徐々に顔色が青ざめていく寝坊者。

 「そうなの、時間まずいの〜。ちゃっちゃと服着替えて下りてきて〜。今日は拓馬が朝作るってさ。残念ながらお昼まで作る時間が無いみたいだから今日は学食だね」
 「わかった……すぐ行くよ」

 使命を果たした少女は部屋を出て行く。



 ………紗綾



 ばたんと閉まる扉の音でかき消された青年の声。その声は懐かしむような悲しいような、複雑な感情が入り混じってるような表情でつぶやかれた――



 その数分後、ある友人の目撃談であわてて家から飛び出していく5人の姿が見えたとのことだった。