俺が七年前、一体この街で何をしたのかを思い出せないまま数日がたった。周りには少しだけれど友人もでき次第に転校生と言う違和感も無くなり始めた。
よく親父が「昔は良かった。高校生のときが一番怖いものが無くて毎日友達と馬鹿が出来る時だった」とよく酒が入ったときに言っていた。俺は今、親父が言った高校生の時を生きている。
はぁ、と口から自然に溜息が漏れた。口から漏れた溜息は空気で冷やされて白い息となって空に解ける。
「どうしたの、祐一?」
「いいや、なんでもないぞ名雪」
七年ぶりにあった従姉妹、名雪とも特に違和感無く俺は付き合えていると思う。
最初は2時間も待たされて嫌われているものかと思ったが、それは心配しすぎたようだった。家では秋子さんもとてもよくしてくれている。
「でも、祐一の眉間に皺が寄ってるよ〜。なにか、考え事?」
触ってみると、確かに皺が寄っていた。考え事をしていたため無意識に寄っていたのだろうか。そして名雪が息を弾ませながら俺の顔を覗き込んでくる。その際に足元の雪が少しだけ舞った。
「ああ――少しだけ考え事をしていた」
「どんなことを、考えていたの?」
「一体、俺は七年前この街でどんな事をしたのかな、と思ってさ……」
「祐一は、どんなことを覚えているの?」
柔らかな雰囲気を纏って名雪がゆっくりと話しかけてくる。この雰囲気もまた懐かしい。目の前に学校に続く曲がり角が見えた
「そうだな――薄らぼんやりとだけれど名雪と遊んだ事を覚えている……後は雪、だな」
「雪?」
「ああ、雪だ。夢で見るんだけれどな。とにかく雪だ」
学校の前の自動販売機で缶コーヒーを買う。ついでに名雪の分も買い手渡す。
「ありがとう」そう笑顔でいいながら名雪は缶コーヒーを手で包み込んで手を温める。「そっか。祐一、私と遊んだことを覚えていてくれたんだ」
「ああ、はっきりとじゃないけれどな。昨日名雪と買い物に行ったときに思い出したように軽く霞がかっているようなものだ」
そういったときに、名雪の笑顔が少し翳って見えた。
「あの日の事も、覚えてるのかな……?」
「何か言ったか?」名雪がこぼした呟きは俺の耳にはよく聞き取れなかった。「ううん、何も」
その事を名雪は頭を振って否定した。
「ほらっ! 学校に着いたよっ、早く教室に行こう遅刻しちゃうよ」
「今日は未だ大丈夫だろ」
はぁ、と溜息交じりの苦笑を又吐いて、俺は名雪の後を追って走り出す。空からは雪がちらつき始めていた。
その日も、特に何もなく一日が終わった。
しいて言うのなら北川が学校の特別教室に筆箱を忘れ、その次の授業でノートを取れなかったと言う事ぐらいな日だった。
そんな北川を横目で見ながら俺はずっと、外の雪を見ていた。
授業の間ずっと、高い空から深々と降りてくる雪をじっと見つめていた。時にやんだり吹雪いたり、くるくると表情を変える雪を見ていた。
正直、雪を見るのはあまり好きではない。見ていると心がもし胸の奥にあるのならそこが痛み、時が立つとゆっくりと後悔のような悲しみのようなそのような感情が立ち上ってくるのがわかるからだ。
昔、俺には雪に関して何かあったことぐらいしかわからない。でも、はっきりと“何かがあったこと”は実感できた。確証は無いのに何故かそう思えた。
でも自分のことなのに昔がよく思いだせない、そのもどかしい気持ちがゆっくり土砂のように堆積してゆくだけだ。
俺の周囲には商店街の喧騒が広がっている。雪が降る中、沢山の人が雪を踏みながら歩いている。
ある人達はは仲睦まじく並んで歩いたり、ある集団は皆で横になり会話をしながら商店街を埋めている。
雪の中、店先に並んだ街頭がその存在を示すかのように順番に光りはじめた。
それに比例するように雪もまた徐々にその勢いを増してきた。冷たい風が俺の心の中に入り込み震えさせようとしているように思えた。
その時空に切れ目があることに気がついた。いや、それは雲の切れ目から夕焼け空が少しだけ見えその切れ目から夕焼けの赤がこの街に降り注いでいる。その切れ目を見つけた。
「……ん、なんなんだあれは?」
切れ目の赤の中、俺はその中に何故か羽を見た気がした。
その羽は、ゆらりゆらりと雪のように儚く揺れながら落ちてきているように見える。
もっと、よく見てみようと目を凝らしたとき
「どうしたんですか、祐一さん」
不意に声を掛けてきたのは秋子さんだった。
「秋子さんこそこんなところで、もしかして買い物ですか?」
「はい、ちょっと夕ご飯の買い物に……それでどうしたんですか祐一さん、こんなところで立ち止まったりして」
俺はその言葉を聞き周囲を伺った。なるほどちょうど道のど真ん中で立ち止まったりしたから周りの人が迷惑そうな顔をして俺を避けて通っていた。
「まあ、ちょっと不思議なものを見まして」
「不思議なもの、ですか」
少し、ばつが悪い顔をして俺が言ったときに首をかしげた秋子さんは名雪にそっくりで、ほんとに似ているとそう思って前の考えを打ち切った。
「はい、不思議なものです」
それでもあの羽のイメージは、なかなか頭から離れる事は無かった。