BK幕間 『フジの花サキ、そのハルカ遠くへ』
第5話
再び距離を詰めるあやめに対し、遙は冷静にそれを見つめる。
そして自分の武器である”刺針”の射程距離内に入るとすかさずそれを放った。
そうすればまた繰り返し、再び最初に戻り戦局は同じ道をたどる。
――はずだった。
ここに来て、それは終わりを告げた。
「――――!?」
「こんなちっぽけな針なんか、避けるまでもないわっ!!」
あやめは遙が放った刺針をかわさず、構わずに今まで不可侵だった領域に足を踏み入れた。
「接近戦に入りさえすれば!」
一気にスピードを上げ、距離を詰めるあやめに対し遙は今までのスタイルを崩そうとはしない。
ただ一つ変わったことがあるとすれば今までは流動的に動きながら武器を取り出していたのだが、今はそれをしていない。
つまり距離を詰められながらも遙は武器を捨てたということだ。
「――もらった!」
完全にインサイドに入り込んだあやめは左足を大きく踏み込み、狙いを定める。
相手の後頭部に叩き込むハイキック、爆発のおまけつきだ。
相手は接近戦を嫌った遠距離タイプ、この絶好の位置を取った時点であやめの勝利は揺ぎ無い。
――だと言うのに。
遙は微かに微笑み、こんなことを言う。
「虎穴に入らずんば虎子を得ずって言ったけど貴女は分かっているのですか?」
唐突にそんなことを言われてもあやめの耳には入るがそれに答える余裕など無い。
そして何よりこの攻撃は既に止まりはしない。
だが、あやめは改めて知ることになる。
自分が虎穴に入ってしまったということを。
「他でもない虎穴にいるのは、獰猛な虎だと言う事を――――」
「あれ?」
あやめは不思議な感覚に襲われる。
全く手抜きをせずに、確実に捉えたはずのハイキックだが、その感触が無い。
そして気付く。
遙はあやめの攻撃をかわすのでもなく、受けるのでもなく、いなしているのだと。
それはコマ送りのように見える。
あやめの蹴りが何かに引かれるかのように遙からそれていき、そして遙は蹴りを外したあやめに対し構える。
右腕を軽く引き、拳を作るのではなく掌を作る。
そして掛け声と共にそれを空を捻るように繰り出す。
「――――破ッ!」
それはあやめの鳩尾を確実に捕らえた。
「か、は…………っ!」
少し宙に浮き、後退したあやめに対し、追い討ちをかけるわけでもなく再び流動的に体を動かす。
「今のはまさか……”蜂鷹拳”!?」
口元から零れる血を拭いながら、あやめはそう口にした。
※蜂鷹拳……基本的に大別される"剛拳法"、"柔拳法"の内の柔拳法に属する拳法の一種。
相手の攻撃の力を利用すると言う力学に基づいた科学的な拳法であると同時に古来から存在する大気を煉る気功を取り入れている。
小さな力で大きな相手を倒す、と言うコンセプトの元に読んで字の如く蜂の針ような一撃と鷹の爪並の破壊力を誇る。
尚、本作で彼女が"刺針"を用いているのは彼女オリジナルであり本来は武器を使用する拳法ではない。
「あら、蜂鷹拳をご存知とは…………」
「格闘技に精通してる人間なら誰でも知ってるわよ」
そう言うと同時にあやめはチッと舌打ちをこぼす。
「その様子なら知っているようですね。もはや貴女の攻撃は無意味です」
そして負けを認めなさい、と言葉を付け足す。
「……冗談。いくらアナタが蜂鷹拳の使い手だからって」
そう、自分の負けを認めるつもりなど毛頭ない。
成り行きとは言え、この勝負には祐一の動向が懸かっているのだ。
あやめは俄然やる気が出た、と言わんばかりに目に光が宿る。
それもそのはず、他でもない天王寺流の格闘技は他でもない”剛拳法”に属する。
言ってみれば天敵のようなものである。
柳の様に、そして流水の如く掴みどころの無い柔拳法は剛拳法にしてみればやりにくい相手である。
だが、あやめはそう悲観していない。
「柔よく剛を制す、とでも言いたいの? ……笑わせないでよ」
明らかにあやめの雰囲気が一転する。
言葉に完全に怒気を含み、遙を睨む目からは憎しみすら感じ取れる。
「蜂鷹拳……破ってみせるっ!」
元来、天王寺あやめと言う人間は柔拳法、即ち柔拳使いを得意とする特異的な剛拳使いである。
理由は他でもない彼女のLPである。
幾ら柔拳と言えど肌を触れ合わずして相手の力を利用は出来ない。
それは蜂鷹拳にも言えることである。
大気を煉り、その力を使えるといってもそれは微々たる物。
蜂鷹拳の真髄は相手の力プラス気功と言う合力にある。
故に天王寺あやめは絶対の自信を持っている。
肌が触れ合う以上、そこを”爆発”させることの出来る自分に負けはない、と。
それは祐一と佐祐理も思っていたことだった。
二人は藤咲遙と言う一介の女医兼助手である彼女が蜂鷹拳などと言う拳法を使えることに驚いた。
しかしこの勝負はあやめが接近戦に入れるかどうかが勝敗の分かれ目だったはずだ。
つまり既に勝負は決しているはずだ。
事、接近戦に突出している天王寺あやめが最も苦手とする相手はそれをさせない相手。
そう思っていた祐一と佐祐理の思惑は決して的外れではない。
あやめにとってインサイドワークが苦手な相手ほど得意な相手はいない。
そしてそれは相手にも言えること。
相性と言うのはそういうもので、勝利と言うのは自分の得意なスタイルに持ち込んだ者に舞い込むものである。
祐一と佐祐理の二人、そして勝負が始まってからのあやめを含めてこの三人はそう思っていた。
――――だが、相沢祐李と言う人間の”女の勘”はその思惑をハルカに超えていた。
結果は意外なものだった。
そして天王寺あやめの理解の範疇を超えていた。
「ハァハァ……っ、このぉ!!」
もう何度目か、あやめが遙に攻撃を仕掛ける。
「――――甘い」
そんな事はあやめも承知のこと。
打撃に意味など無い、それは蜂鷹拳を使う遙が一番よく知っていることだ。
あやめの攻撃をいとも容易くいなし、そしてその力を利用し反撃。
「……っ、なんでよっ!?」
あやめは遙の反撃を受けながら叫ぶ。
「――其、軽やかなる風、我は頌歌を以って汝を討つだろう」
一際、腕を捻るように自らの体に引き寄せ大気を煉る。
「――蜂鷹拳”六華之園・刺風”」
そしてあやめの体を衝くように指を放ち、肉を抉るように引き抜く。
「っぁああ!!」
あやめの体から血が飛び散る、そんな攻撃が先程から繰り返される。
たまらずあやめが距離を置こうと後ろに下がる。
「忘れていませんか? 遠距離は私の独壇場だと言うことを」
すかさず後ろに手を回し”刺針”を取り出しあやめに投げつける。
あやめにそれを避ける余裕は無い、精々腕でガードするだけである。
腕と足に刺針が刺さり顔を顰める。
「くっ……! 何で……どうして……!?」
あやめは先程からそんな言葉を繰り返す。
だが、このまま立ち止まっていても現状が良くなるわけではない。
混乱したあやめの頭の中でそれだけを告げ、あやめは再び攻める。
右手に力を込め、相手の顔面目掛け拳を振るう。
遙はそれを簡単に流し、そして懐の下に潜り込んだ。
「――汝、無にして月は絢爛、我は神苑の淵へと還す使者となる」
狙いはがら空きになったあやめの顎。
「――蜂鷹拳”愚雅・月頸蛇掌”!!」
それは完全にあやめの下顎を捕らえ、あやめは宙に放り出された。
それでも尚、あやめに意識があるのは唯一、遙が驚くことだった。
「……全く、呆れた打たれ強さですね」
遙が今までに放った技と言うのはほぼ一撃で決まる大技なのだが、そんなことはあやめにしてみればどうでもいい些細なこと。
「……どうして、どうして……能力が発動しないのよっ!!」
顎を強打されたというのに、あやめは叫んだ。
そしてその叫びはあやめを含め、祐一と佐祐理の心も代弁していた。
あやめは膝をついて着地、体を起こそうとするが先程の攻撃を受けてか眩暈と吐き気がした。
今までのあやめの攻撃は全て爆発の能力を付加させた攻撃だった。
だが、一度たりともその効果を発していなかった。
そんなあやめを見てか、遙はふぅとため息を洩らし口を開いた。
「……貴女の能力は全て『消去』させてもらいました」
「――――っ!!」
それを聞いてあやめは遙を忌々しい目で睨みつける。
しかし体は既に満身創痍で多く血を流している。
「……なんなのよ、何だって言うのよ! アンタはっ!!」
「貴女より強い人間、それだけでしょう?」
「……くっ!」
今までの雰囲気から感じさせないほどの冷たい目と声であやめを攻めた。
「……ふざけるな、ふざけんじゃないわよ、……ふざけるなって言ってんのよっ!」
力の入らない足に、無理矢理喝を入れ遙に向かい突進する。
「ふざけてるのは貴女でしょう、その程度で何を粋がっているのかしら?」
それでも尚、向かってくるあやめを見て再びため息をつき、構えた。
「はぁ……貴女如きにコレを使うのは勿体無いのですけどね。その打たれ強さだけには敬意を称します」
そして結局一度もあやめの攻撃と爆発は決まることなく遙に流される。
「――空を裂き、水を斬り、無を滅す、……汝が光を絶つ神なる掌」
全ての風が遙の身の回りに集まるか如く雄叫びを上げる。
「――蜂鷹拳”奥義・空破絶掌”!!」
「――――!!」
なす術なく、それを受けたあやめは飛ばされ、はるか後方にあった大岩に直撃した。
そして崩れ落ちるあやめに対し、遙は興味なさ気に一言言葉を吐いた。
「――――貴女、弱すぎるわ」